大満足の新婚旅行の後、思惑通りに冬彦さんの仕事が見つかり、全ては順調かに思えました。
攻めに入っているカッサンは、子作り解禁を宣言。
案ずるより産むが易し!…であって欲しい。
冬彦さんは、きっと大丈夫なはず。
立場が人を育てるのさー。
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最低限の安定、求む
私が妊娠するちょっと前から、リーマンショックが世間を騒がせていました。
エライこっちゃみたいな事をメディアでは見聞きしますが、その時点では、冬彦さんの仕事に支障はありませんでした。
バブルがはじけた時に、
「元々バブルの恩恵を受けていない(くらい底辺にいる)から、はじけても、特に何も変わらないなー。」
と、両親が言っていたことを思い出しました。
羽振りの良いフリーランスのように、バンバンと割のいい仕事を受けていたわけではないので、庶民には関係ないのか?
と、半信半疑ながらも楽観視していました。
ま、妊娠中で専業主婦へまっしぐらと意気込んでいた、30歳前半女のカッサンと、ピーターパンな冬彦さんです。
事が起こる前に何かできるはずもありません。
要するに、ボーっとしていたのです。2人とも。
ボーっとしているカッサンでしたが、相変わらずの、受け身&無意欲的な冬彦さんには、ヤキモキしていました。
元々考えていた事とはいえ、妊娠で(在宅の)仕事を辞めていたので、不安もありました。
冬彦さんは、技術もあり、SEの割にコミュニケーションも取れ、職場ではアテにされる人材です。
で、あるならば、少しでも条件が良くなるように、契約更新の時に掛け合うとか、長期契約にしてもらうとか…。
家計を預かる身としては、何かしら動いてほしいのに、何もしない。
私にせっつかれて、渋々、プロジェクトの責任者に長期契約を打診したものの、
「冬彦さんは、いつまでとかないから。ずっと仕事を頼みたい。」
なんて言われて、ご満悦のドヤ顔で報告してくるのです。
ただの口約束なのに、なぜそこまで安心しきる???
さすが、ピーター。
男のプライド、歳の差、女が仕事に口を出すべきか?
色々な思いから、せっつきはしても、無理強いで何かをさせる事に躊躇してしまう、年下妻のカッサン。
臨月に入り、自分の事で手一杯な事もあり、しばらく様子を見る事にしました。
「無職だけは、絶対にやめてね!」
と釘をさして。
冬彦さんが永久就職勝ち取った感に浸って、私が様子見をすることを決めたのが2月上旬。
予定日を控えた2月下旬、恐れていたことが起きました。
不安だらけの出産
3月の満了を持って、契約更新されない事が決定しました。
現場の思いは関係なく、会社の方針です。
リーマンショックからの不況の煽りが、とうとうやってきたのです。
事の深刻さが、まだ分かっていなかったカッサンは、
それ見た事か…(溜息)
と、”ちょっとは反省しなさい”的に呆れました。
そんなことよりも!
もうすぐ、待望の第一子が生まれます。
本当なら、里帰り出産で、ヌクヌクと実家暮らしをしているのでしょうが、カッサンは毒母と断絶している身。
(断絶していなかったとしても、里帰りはしませんけどね。)
仕事はしていませんでしたが、日々重くなっていく身体と戦いながら、すべての事を一人で回していました。
お義母さんは、
「私の事は気にせず、自分たちの好きなようにしていいよ。」
をモットーに、”巻き込むなよ”オーラを放っています。
前妻さんの所にいる2人の孫も入れると、6人目の孫です。
今更、孫の世話なんて…って思う気持ちも想像できなくはない。
私が甘え方を間違ってしまったと言うか、距離が縮まらなくて、甘えるタイミングが掴めなかったのもあります。
寂しいけれど、仕方ない。でも、不安は不安。
と、まぁ、
これ以上、不安要素お断り!
状態なのに…。カッサンに、冬彦さんの職の心配が加算されました。
勘弁しておくれよ、お前さん…(涙)
せめてもの救いは、私の高校時代の友人のお母さんが、出産後に面倒を見てくれるから泊まりに来いと言ってくれたこと。
私の家庭環境を知っている、憧れの”The 素敵ママ”です。
これまた不安になってしまう、予定日一週間遅れで、37時間の難産を経て、元気な元気な女の子を出産しました。
それが、ハルです。
思いがけずの、無給の育休
出産後、友人の実家に10日ほど、お世話になりました。
ちなみに、友人は遠方に嫁いで、実家にはいませんでした。
ちょっと考えられない、特異なシチュエーションです(笑)
友人宅では、体の回復に専念させてもらえました。
美味しいものを沢山食べさせてもらい、ベビーのオムツ交換から沐浴まで、全ての事をしていただきました。
毒母からは提供されたことのない待遇に、感謝しかない状況。
里帰り最高…。
と、分不相応な幸せ体験が過ぎ去る切なさを噛みしめながら、3月下旬、私は友人宅から帰宅。
その後、1週間ほどして、冬彦さんは、無職になりました。
出産後の癒されタイムから、現実世界に連れ戻され、本格的に不安と向き合うことになります。
本当なら、第一子が生まれて、忙しいながらもウキウキで過ごし、可愛い服なんか見つけたら、テンションを上げて買っちゃう時期です。
タイミング的に、4月から仕事を始める事は無理な状況になっていました。
無職を2週間でとどめる事が目下の目標となりました。
ミッションをクリア出来るのか…。
不安を緩和するために、冬彦さんは育休で、育児を手伝ってくれるのだと思うことにしました。
助けのない私に、好都合だと。
そして、そう慰めると、言葉通りに受け取り、カッサンの心の涙を見ようともせずに、ホッとする冬彦さん…。
実際、冬彦さんは、夜泣き対応と授乳以外の事は、何でも手伝ってくれ、すごく助かったんですけどね。
ベビーをあやす冬彦さんを見ては、
普通の会社勤めでは育休なんて簡単には取れないし、貴重な経験を私たち夫婦はさせてもらっている
と思い、通帳を見ては、崖っぷちに立たされている様な状況にめまいがし、一日の間に、何度も気持ちのUP・DOWNを味わいました。
なかなかのアトラクションぶりに、げっそり。
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泣いていられない。だけど、涙がでちゃう。
結局、冬彦さんの仕事は、1カ月たっても、2カ月たっても見つからず、私たちは窮地に追い込まれました。
仕事がなくて一番つらいのは、冬彦さんで、悪いのはリーマンショックだと、必死で自分に言い聞かせ、平静を装います。
平静を装ったとしても、現実から逃げるわけにはいきません。
でも、今後の事を話し始めると、冬彦さんは、途端に無表情になりフリーズ。
こちらが、寄り添う姿勢でいくと、”自分は悪くない”という体で安心しきるし、強く言えば責められた感満載でのだんまり。
冬彦さんの本当の気持ちは分かりません。もしかしたら、必死のパッチ(古っ)だったのかもしれません。
が、少なくとも、私から見た冬彦さんは、上記の通りでした。
打つ手なしで指示待ちの冬彦さんに、生まれたばかりのハル。
私は、当面の生活を守るために何が出来るかに策をめぐらせ、お金のなさと助けてくれる人がいない状況に追いつめられるようになります。
時々、不安がMAXに達して、涙ながらに冬彦さんに訴えたりもしました。
ですが、
「ごめん…」
の一言を出すのが精一杯の冬彦さん。何も解決はしません。
本当に、だんまりなのです。
冬彦さんと真剣に話せば話すほど、落胆と自己嫌悪で、自分が傷つくことに気付いた私は、ハルと2人きりの時に
「不甲斐ないお母さんで、ごめん。頼れるお父さんを選んであげられなくて、ごめん。」
と、泣いて謝るようになり、外食や新婚旅行など、結婚してからの全ての贅沢な行為を、後悔するようになりました。
結局、次の仕事が見つかるまで半年、冬彦さんは無職でした。
リーマンショックの影響があまりに大きく、長期戦が予想されることは、初期の段階で明白になりました。
ですが、冬彦さんは、日雇いの仕事に行くわけでもなく、悠々自適のお義母さんに頼るわけでもなく、前妻さんとの子供たちへの仕送りも私に丸投げで、ひたすら受け身の姿勢を貫きました。
意識して貫いたと言うよりかは、何となくでしょうけど…。
無職中やっていた事と言えば、フリーランスの派遣会社への登録し、面接を受ける事。
その行為が、冬彦さんにとっては、”なすべきことをしている”大義名分にもなりました。
いつ仕事が入るか分からない=日雇いなんて行けない
と言う公式です。
空気を読む力があれば、長期戦であると察して、別の事を考えたかもしれません。
察するのが苦手なうえに、自己肯定感強いので、待ちの姿勢。
どれだけ、待つんだっ!
そういえば、待つのは得意でしたね。
(→「結婚相手に求めるもの」)
リーマンショック、恐るべし
とにかく、リーマンショックはすごかった。
世界恐慌の時より状況は悪かったと聞くと、冬彦さんの無職は、仕方なかったのかもしれません。
個人でどうこう出来る問題ではありませんから。
でも、とにかく、現状をどうにかしようとしようと、動くことがない。
アタフタするだけです。
アタフタしているならまだマシですが、私が肩を持つと、びっくりするくらいホッとしているのです。
でも、私が良いと言うか悪いと言うかは、問題ではありません。
冬彦さんが、一家の大黒柱としてどうあるべきかです。
半年の無職を経て、新たに登録した仲介会社から、仕事を頂くことになりました。
無職になる前から比べると、報酬は1/3以上の減でした。
ですが、リーマンショック以降、買い手市場になってしまい、仕事が見つかればラッキーの世界で、文句は言えませんでした。
徐々に回復してはいますが、10年経った今でも、報酬の水準は、シーマンショック前には戻っていません。
一度下がった単価は、企業もそう簡単には上げてくれないのです。
では、どうやって乗り切ったか?
実は、乗り切ってはいません。
首の皮一枚で、何とか自転車操業しています。
いや、自転車操業でもないかも…。回ってないな。
首の皮一枚で、もうすぐ10年です。
酷使された首の皮は、この2,3年ほどで、向こうが透けて見えるほどに薄くなってしまいました。
ホントのホントに崖っぷちです。
落ちてしまわないように必死。
何とか乗り切らねば!
と、思っていましたが、魔の四月の件で、冬彦さんへの信頼が崩れ去り、
いっそ、一人で崖からダイブしたいわっ!
と言う気持ちを、必死で耐えている今日この頃。
自暴自棄は、いけません。はい、わかっています。
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